[115]kirsche[02/23 11:37]
されている本物ではない悟り(のようなもの)に感動した自分の不明と錯誤に「しまった!」と屈辱を覚え悔いています。

 慟哭の声谺せよ寒の月  幸月
  
 これは実母へ詫びている句だそうです。贖罪のつもりの歩き遍路6年、彼は刺し傷が因で被害者が障害を負っていたことを知りませんでした。先ず最初に被害者に謝罪し、できる限りの賠償をするという人間として最低限のモラルすらもたず「歩き遍路の方が拘置所よりも厳しい」などと法廷で主張するいただけない人の作品に初見で感動した私は句集(作品)→心不全などで急死、という時系列の展開で過去の犯罪が暴かれないままだとしたら、知らないままに作品をくり返し賞賛しつづけているとおもうと愕然とします。
 これは私が日ごろ結果オーライよりもプロセスを大切にしているからなのかもしれませんが死刑囚→俳句づくり→死刑執行、の結果に佳作が遺っているというのとは次元が違います。鶴彬・山頭火それぞれ、引っ掛かるところがあります。

彼が犯行→自首をしていたら売れつづけている句集『風懐に歩三昧』は存在していないことになります。

いかがでしょうか?
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