[94]ボッコ[2004 08/11 15:23]★1
ざるを得ないはずです。そして、一番絞りさんは、(A)の事実認識において、谷川俊太郎の「どの側面」を取り上げるかを、ある意味最初から限定しているともいえるわけです。
(A)が谷川俊太郎の全ての側面ではない、という批判は勿論可能でしょう。けれども、(A)を取り上げるトピックの前提として規定し、(B)(C)の自分なりの定義が示されている限り、(D)という結論は、「論理的な」「論証」だと私は思います(哲学としても詩としても中途半端だから、良くない、というのは成立可能な批判でしょう。勿論反論は可能ですが。このどっちつかずさこそがいいんだ、とか。けれどもそれを主張するならそれにも「論証」が必要でしょう)
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