[305]一番絞り[2004 09/21 09:17]
味では現在、あまりにも「事後」の歌が多い。そういう歌には末尾に「と思う今日この頃であった」という一行が
不思議にぴったりとおさまるのだ。
たしか瀬尾育生が吉本隆明『母型論』の解説文で1960年末〜70年代にかけての時代状況をさし
「あたりを強迫的な命令形が埋め尽くしていた」と書いていたが、いまはそうじゃない。
あたりは「事後」の、「受動的な自発的命令形」で埋め尽くされているといってもよい。
「教育ひとつを考えても一切が反人間的な時間に組み込まれており、いわば他人を蹴落とす方法を研修する受験教育のシステムを軸にして
構成されている」(井上光晴)。そういう時代だ。
当然のことながら既成知
[次のページ]
戻る