[273]山田せばすちゃん[2004 09/17 01:43]
最近はほとんどそれはなくなってきました。見つけ出したらそれは俺以外の他者にも理解可能な違和なのかどうかについて考えてみます、「それはそうだよね」といってもらえれば「僕らは友達」なので一番うれしいですがもしかしたら「そういうのもわからないではないけれども」という反応で終わるかも知れません。ともかくそこから違和の言語化が始まり、印象批評がスタートするのです、とか言うとまるで手順を追ってシステマティックに脳内作業が粛々と行われているかのような印象ですが、実は最初の違和を、まずメモ帳なりノートパッドに「この女バカ」とか書いて、「だって」とか書きながらすでにその作業の帰結は見えていたりもします、見えなかった
[次のページ]
戻る