[142]山田せばすちゃん[2004 08/20 01:26]★1
を汗だくになって組み立ててる夫だし、そういうの全部かなぐり捨ててきみと一緒に歩いていくわけにはいかないのだよ、もちろんきみだって、家に帰れば貞淑な人妻なんだろうしさ。ずっと一緒には歩けないから、今こうやって一緒にいられるときだけは互いのいとおしさで精一杯愛し合う二人でいようね、なんて、そろそろ誰に向かってなに書いてんだかあやしくなってきちゃったぞ、おい(笑)

石川氏も川元氏もそれぞれがそれぞれの理由で、この最終連に引っかかっているみたいだけれど、それってつまりはこの最終連がそれまでの一連の詩の構造から突出してしまっているってことの証明だと、俺は思う。一連の構造があるからこそ、読者はそれぞれの解釈を一連のものとして成立させている=それぞれの充填したい内実を作品の空隙に充填していくのだろうけれど、どうしてもみんな最終連でひっかかってる=一連の内実をそこに充填できていないってことは、この最終連がそれまでの一連のこの詩の構造とは違うってことなのじゃないかな?
俺は、だから、あえてこの最終連は不要だ、なんて思い切ってしまいたいところではあるのだけれど。
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