[981]渡邉建志[2004 12/04 20:00]
えていく。

「連れて行く」というのは面白い表現だと思う。絵を描く「私」が絵を決定している
わけではなく、絵自体もその決定のプロセスに関わっている。「私」だけが決定しているのでも、
「絵」だけが決定しているのでもなく、その2つの主体(?)の絶妙な関わりあいによって、
絵が進展していく、そんな印象がある。力技で絵を開拓するように描いていったわけではないみたい。
決定稿と初稿と現在稿(?)の間で差分をとって、「ああ、8分目まで登ってきた」というのではないのだろう。
そもそも決定稿というものが存在しないのだろう。それを、微分的、と呼んでいいだろうか?
常にその時点での絵と会話していたよう
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