作者からのコメント
choriくんへ>追記ありがとう。
「現場」の定義について、俺も、君とほぼ同じ意味で使っています。
誤解があったりするとしても、この文章の文責は俺にあります。
朗読と言う形式で「詩」を世間に開いてゆこうとする試みを企画し、主催しています。
演者としてもステージに立っています。そこでいろんな表現者を見ます。同じステージにも立ち、お金を頂戴してお客様の前に立ちます。その場のことを「現場」と表現しました。
それが適切な表現であるかどうかは分かりません。ただ、やっている者の実感としては「現場」と云う言葉はピッタリくる言葉なのです
皆様ありがとうございます。
正直、これだけ多くの反応があるとはおもっていませんせした。
この拙文に対しては、文中でも述べたように、不快感を抱かれる方がいらしゃるとおもう。コメントの一々に対して返答することは差し控えますが、コメントを下さったこと、こんな拙文をしっかりと読んだ上でのコメントだと思えますので、素直に有り難く頂戴いたします。
ただ、この文章の性格について、改めて書いておくべきかとおもいます。
この文章は、愚痴であり、苛立ちであり、暴論であり、何らの建設的な提起でもありません。つまり、大変不毛な代物であると云い切れます。
しかしながら、そうしたものであったとしても、云わずには居られないということがあるとおもいます。ですから、そうした代物を公にした以上、あらゆる批判は甘んじて受けます。反論はしません。
ただ、だからこそ、この文章の表題は「云ってはならないこと・・・」なのです。俺は、誰かに対して、今もこれからも、「詩を書くな。」云えるものだとは思っていません。それについては、あをの過程くんが、指摘してくださったことに尽きるだろうとおもいます。賢明なもの書きや、詩人ならば、こんな文章は書かないでしょうし、この文章の「詩を書くな。」が正論だなどとは云いません。そんなつもりで書いていませんし、今後もそうしたものは書かないでしょう。「詩」が多くの人によって書かれることそれ自体は、素晴らしいことなのであって「詩」の世界にとっても多くの可能性を準備する力になるだろうと個人的にはおもっています。ただ、choriくんがはからずも述べて下さった様に、この文章で述べたことの全体は、詩と係わる現場にいる人間の一人としての本音でもあります。矛盾していると分っています。それでも書いて置きたかったのです。
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