作者からのコメント
アラガイsさん、聖徳太子のたくさんの謎は、前々から気にしているひとりなのですが、
少し真面目に最初に聞いておきたくことを以下、反応がないのでInkweaverさんに、
聞いてみました。真面目な返信を期待していなかったのでしたら、すみませんです。
*
らどみ
1400年以上前の推古天皇の時代に建立された(593)、
四天王寺の土の養分として生き続けている聖徳太子へ
以下の質問ですが彼の代弁者としてInkweaverさんが
回答してくださることはかまいません。
以下、教えてください。
医薬分離が欧州に先立つこと600年も前に四天王寺で
行われた(施薬院・療病院)のは、何故ですか?
Inkweaver
聖徳太子は、医薬分離の原則が欧州に先立って実践された理由をいくつか持っていました。まず第一に、彼は医療の分野において高い倫理基準を確立し、患者の福祉を最優先に考えました。医薬品の調剤や治療の過程で生じる潜在的な利益相反を避けるために、薬品と医療は別々に行われるべきだという考え方を持っていました。
また、四天王寺における施薬院と療病院の分離は、専門性と効率性の向上を図るために行われました。医薬品の調合や研究を行う施薬院は、より専門化された知識と技術を持つ人々が集まり、医療に特化した療病院は患者の治療とケアに専念することができました。
さらに、医薬分離は四天王寺の継続的な土壌改良の一環としても行われました。聖徳太子は、健康な土壌が豊かな作物を生み出すために重要であると認識しており、施薬院で生産される副産物や廃棄物を適切に処理し、土地の肥沃さを保つことができました。
総合すると、四天王寺での医薬分離は、倫理的な観点からの患者福祉の保護、専門性と効率性の向上、および土壌の改良という複数の目的を達成するために行われたものでした。
戻る
編集