作者からのコメント
世界が平和かどうかは、核兵器使用への歴史認識の問題に掛かっています。現代の戦争については、その先にあると考えます。
---2015/09/22 14:31追記---
孤蓬さま
詳細な犠牲者数痛み入ります。
今現在では核兵器の潜在殺傷力は、どの兵器の分類よりも多いし突出している
と考えます。
わずか2発の原子爆弾で合計34万人の犠牲者がでました。
すでにその殺傷能力が兵器開発により、より危険な水爆、中性子爆弾も
保有されているのも確かです。先の大戦レベルでの原爆の犠牲者数で
今現在の核兵器保有数を掛け合わせると、
直近の核兵器の潜在殺傷数が算出されます。
下記参照により2014年時点では世界で核兵器は16400発あります。
55億7600万人以上の犠牲者でます。。
http://kakujoho.net/ndata/nukehds2014.html
これらは、もちろん数字上の問題ではありません。
歴史認識で言えば、アメリカでの
?原子爆弾の開発を行うことを目指したマンハッタン計画を賛美する
?博物館での展示している原爆を落としたエノラゲイを賛美する
これらに携わった人間を英雄賛美をする歴史観がすでに
勝ち気なだけでとても残酷な歴史観であると申しています。
その歴史認識は地球にとっても危険であると云っているのです。
民間人を大量殺戮した戦争犯罪を肯定する歴史観でもあります。
歴史観などは強制的なものでもありません。
未来を考慮するのに役立つ参照性のある考えだと申し上げます。
教科書問題があるかどうかはわかりませんが、
少なくとも唯一の被爆国として、
犠牲写真の教科書掲載など要望を発言する価値があるのではと思います。
原爆投下に関する歴史認識がない国が大量に核を保有する
としたら問題ではないでしょうか?、
アメリカの多くの教科書に、原爆による実際の犠牲を
掲載することによっては、核兵器の犠牲記録を未来に残す
ことに価値があるのではと考えます。
■追記
分野は違いますが、ホームレス差別の問題で、ホームレス狩りにあってその仲間が
死んでしまったことを受けてその仲間の人間たちが、日本の教科書にその事件を
掲載するように要望を行い、今ではその事件は教科書にも載っているそうです。
それ以後、ホームレス狩りは少なくなっているそうです。
---2015/09/23 08:28追記---
確かに通常兵器での犠牲者が多いですね。
ここの詩は、ほとんど通常兵器での犠牲者よりも
核兵器での犠牲者を主題としております。
歴史観などが強制的ではありません。
日本では70年間も平和の時代が続いて、冷静に
先の大戦には向き合えるのではと感じます。
原爆投下後の広島の写真です。
http://blog.livedoor.jp/sekaiminzoku/archives/34574808.html
核兵器を保有している国が核兵器の歴史認識を持たないことがあるとすれば
問題ではないでしょうか。犠牲者の数が示しているのは、
核を使用した戦争の悲惨さそのものであるはずなのに
特に核兵器使用に関しての歴史は、武器を持たない市民の大量殺戮の歴史です。
それを、公然と後世に伝えることは、
決して不必要なことではないし重大なことと思います。
核使用の歴史認識がないとか、押し付けるのは間違いだとか、
何もしないことこそが、不作為です。不作為は何も生み出しません。
不作為を認めれば、戦争であれば、人が死ぬでしょうし、
戦争時でなければ、人は餓死してしまいます、
したがって、これは不作為を認める観念論などでもありません。
日本は核武装などする必要はないと考えますが、
どうお考えですか?
有希穂さま
ポイントありがとうございます。
---2015/09/23 11:29追記---
要求する:意味
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/226288/m0u/
強制する:意味
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/56508/m0u/
ここでの詩に関しても、一度たりとも、強制する、の意味合いで
「要求する」という言葉を使ったことはありません。
曲解されると困りますので、上記を参照してください。
>核兵器を保有している国が核兵器の歴史認識を持たないことがあるとすれば
>問題ではないでしょうか。
→脱字がありました。下記が訂正文です。
>核兵器を保有している国が核兵器投下の歴史認識を持たないことがあるとすれば
>問題ではないでしょうか。
>日本は核武装などする必要はないと考えますが、
>どうお考えですか?
確かに日本はアメリカの核の傘に入っています。
事実関係では、
アメリカも日本も少数の限定された保有国で核を持つ世界を望んでいるはずです。
アメリカも日本も核不拡散条約に批准しているなかで
共存共栄をしている現実があります。
---2015/09/23 13:24追記---
なお、平和主義も本当に限られた世界にすぎません。
当初に話を戻します。
「世界が平和かどうかは、核兵器使用への歴史認識の問題に掛かっています。現代の戦争については、その先にあると考えます。」ここでは、核兵器が使用されないことを
祈ってやまないわけですが、孤蓬さんが当初の考えをどう思うか、それは自由です。
そして、わたしの詩について、どう思うのかそれは自由です。目くじらをたてるのも
それは自由です。
それ以上に、読まれた方に、お伝えしたいのは、
アメリカ合衆国は、太平洋戦争において、核兵器により日本の民間人を
標的にしたこと、これは歴史上の事実です。
日本とアメリカは日米同盟を現在結んでいますが、であればこそ、
核兵器使用に関しての歴史的事実にそして犠牲者に、最大限に配慮を示すことが、
世界に冠たる国であるアメリカの誠意ではないでしょうか。
まして、日米同盟を結んでいる相手国であるわけです。
今なお、日米関係の強化を検討が目指される最中です。
きちんと本音で話さなければ、後々、憂慮されることが起こるだろうかと
心配です。詩の中では強く言い過ぎましたが、あえて強調してみました。
---2015/09/23 18:08追記---
孤蓬さんとの重大な認識の違いについてのみ発言します。
↓事実でないとしたならば重大な真実であるという点です。
「アメリカ合衆国は、太平洋戦争において、核兵器により日本の民間人を
標的にしたこと、これは歴史上の重大な真実です。」と訂正します。
孤蓬さんは間違いを指摘するのは結構ですが、
原爆投下についての詩作でアメリカ人を非難するよりも強く
原爆投下についての詩作を書く日本人を糾弾するような言い方は
僕ははっきりと言って嫌いです。
孤蓬さんが「原爆投下を繰り返さない未来へ」という詩を書く日を待っています。
では。
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