作者からのコメント
雑味としてそれを切り捨てても
残るなにかで人と向き合いたい
切り捨て過ぎていたものも記憶として残り
発する言葉に少しずつ宿っている

アラガイ さま
ポイント、コメントありがとうございます。
 精神性を突き詰めると茶道のようになりますね。利休の思想にふれてみたいです。レギュラーコーヒーにも、家庭ではコーヒーメーカー、職場のポットではドリップバッグを使うという楽な道があります。そちらを否定するわけでは決してありません。もてなしの心は便利なものを使ったレギュラーコーヒーでも、インスタントコーヒーでも実現できると思います。挽きたてにこだわりたい、技を失いたくない、それ自体が楽しい。私が手作業のドリップを続けるのはそんな理由からです。主観的な味については、それを誰かに決めてもらっていいの?というのが私がずっと考えていることです。妥当な場合も多いのですが、ひとりよがりという言葉で切り捨てる発想が私は嫌いです。自分が納得する味を追求するときも、もてなすときも、もてなされるときも、私はどう感じるかということを核にして臨みたいです。

設定解除 さま
ポイント、コメントありがとうございます。
 文章そのものについてよい印象を抱いてくださり嬉しいです。コーヒーを題材としつつも、半分くらいは書くことについて意識していたかもしれません。コーヒーをいれることと何かを書くことは、よく似ています。粗雑にすることは、かける手間をすべてゼロにしてしまいます。あえて選んでやることならば、受けとることも発することも丁寧に行きたいです。

芦沢 恵 さま
ポイントありがとうございます。
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