作者からのコメント
一度削除して、大幅に削って修正いたしました。修正前のものを読んでくださった方、申し訳ありません。
---2013/11/24 19:43追記---
改めまして、この作品を読んでくださった皆さま、評価してくださった皆様に心より感謝申し上げます。
笹峰霧子さま、貴重なポイントをありがとうございます。
北大路京介さま、貴重なポイントをありがとうございます。
芦沢 恵さま、貴重なポイントをありがとうございます。
そらの珊瑚さま、貴重なポイントと、コメントをありがとうございます。
お葬式に慣れてしまった私は、「見てやって」と言われれば、ごく自然に何の抵抗もなくお顔を見るようになってしまいました。遺族が「見てやって」と言う時は、苦しみのない安らかな顔をされている時だからです。それが何かの慰めになるのですね。私も、「見てください、きれいな死に顔でしょう。」と人に言ったことがあります。今思うと不思議ですが、なぜかその時はそう言いたかったんですね。神経が尋常ではなかったのです。
じゃ、自分が見られたいか?と問われればもちろんNOです。
イナエさま、貴重なポイントをありがとうございます。
あおばさま、貴重なポイントをありがとうございます。
島健一さま、貴重なポイントをありがとうございます。
Astraさま、貴重なポイントをありがとうございます。
夏美かをるさま、 貴重なポイントと、コメントををありがとうございます。
逢坂たかのりさま、 貴重なポイントをありがとうございます。
クナリさま、貴重なポイントをありがとうございます。
ただのみきやさま、貴重なポイントと、コメントをありがとうございます。
はじめて気がついたのです。この独特のセレモニーに違和感なく溶け込んでいる自分を発見したのは驚きでした。
ばろん♪さま、貴重なポイントをありがとうございます。
るるりらさま、貴重なポイントをありがとうございます。
梅昆布茶さま、 貴重なポイントと、嬉しいコメントをありがとうございます。
tamamiさま、貴重なポイントをありがとうございます。
泡沫恋歌さま、貴重なポイントと、コメントをありがとうございます。
そうなんです。親族のお葬式ではとても近いけれど当事者ではない。でも違和感なく溶け込んでいられる不思議な居場所があります。家族の場合はもちろん気持ちに余裕がありません。また赤の他人の場合は、それがどんなに親しかった人でも、なぜか疎外感が付きまといます。親戚縁者と言うのはやはり今もなお日本に残る強力なコミュニティなのだなあと思います。(一方でそれがどんどん崩れてもいるらしいのですが、まだまだ根強いとおもいます。良くも悪くも。)
服部 剛さま、貴重なポイントをありがとうございます。
---2013/11/27 10:02追記---
十六夜KOKOさま、貴重なポイントと、コメントをありがとうございます。
そうですね、そう言われてみればわたしも、記憶の定かでないことばかりです。
お葬式はある種の集団催眠のような場なのかもしれないと・・KOKOさまのコメントを読んで考えました。
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