作者からのコメント
過去こそ生命の本質ではないだろうか。
生命の当事者が自分であるなら他者の観測こそが存在の証明で現在を含めた過去で、自己の同一性を担保する確証と捉えざるを得ない。
これは常に客観性に閉じている。なぜなら他者の観測への期待は希望、願望と呼ぶべきもので最終的に立証する手立ての無い環境だからだ。
だがしかし観測しえない現象は起き得ないかといえばそうではない。
僕たちは生きていると死んでいるの不確定な天秤の上で自己の内面内地平を眺めているのかもしれない。
戻る
編集