作者からのコメント
その人は、ボクが部屋を出てから、独り言のようにつぶやいた。
「物」が生きるとは、「存在」すること。
それを貫くことが、彼らの生きる意味。
「植物」が生きるとは、「存在」し、「繁殖」すること。
それらを貫くことが、彼らの生きる意味。
「植物」は植える「物」。
彼らは「存在」し、子孫を植えて「繁殖」する。
「動物」が生きるとは、「存在」し、「繁殖」し、「意思」を持つこと。
それらを貫くことが、彼らの生きる意味。
「動物」は動く「物」。
彼らは「存在」し、子孫を「繁殖」し、「意思」を持つから動くことができる。
「人間」が生きるとは、「存在」し、「繁殖」し、「意思」を持ち、
「思考」し、「感情」を持つこと。
それらを貫くことが、彼らの生きる意味。
彼らは、その生きる意味を無くしてしまうようなことを、
「罪」や「悪」などと呼ぶ。
だが、彼らは「感情」を持つから、そうでない場合もある。
人間は、「私を物のように扱うな。」と、発言することがある。
それはすなわち、
「人間」は、ただ「物」のように「存在」しているだけではなく、
「繁殖」し、「意思」を持ち、「思考」し、「感情」を持つことを、
主張しているのである。
人間は、「自殺は、なぜいけないのか。」と、思考することがある。
それは、生きる意味を無くしてしまうからである。
だが、その生きる意味の中の一つである「感情」を持つこと。
それが、その答えを捻じ曲げてしまう場合があるのだから、皮肉なものである。
人間が持つ「思考」と「感情」は、初めて流れを捻じ曲げた。
だから私は、人間のその滅茶苦茶なところに、興味があるのだ。
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ボクは、その人の言葉を思い返していた。
「人間」からすれば、「物」が「存在」していなくては、
意味がないのだからね。
と、その人は、どこかで言っていた。
それはきっと、
それらの考えは、「人間」の視点で考えたものなのだよ。
という、意味なのだろう。
だからボクは、ボクなりの考え方をしてみよう。
ボクの部屋を灯してくれる火は、
心なしか、いつもより強かった。
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