ポイントなしのコメント
[アラガイs]
汚ないものが多すぎますからね。利己的にはできるだけ美しくないものは見たくもない。せめて言葉だけでも心地よいものを聴きたい。まったく同感ですが、美しくない言葉ってなんだろう? って考えてみますれば、言葉自体は表記の手段に過ぎないので、これは書き手による作り方の問題でしょう。詩は直接音の関与しない言葉の羅列です。それを補うために詩人は文字を読みながら音を意識する。できるだけ耳に心地よく響かせるわけです。この聴けない音を敢えてリズムやメロディーに喩えてみるならば、音楽は様々な形態で我々の耳を楽しませてくれます。そう考えてみえば美しくない音楽ってなんだろう? とか音の壁に行き着いてしまいます。その昔ビートルズの音楽はうるさいとか言われた時期が在った事を記憶しています。聴く耳により人それぞれでしょうが、確かにロックはうるさい音楽でしょう。耳障りにはけっしてよくありません。でも我々の気分を高揚させるし何よりも愉しめる。時として再び感動したりもできます。しかし病気で寝込んでいるときにはまず聴きたくはない。うるさいから。でもこれは流れてくる音がうるさいだけで、何も歌詞に書かれた言葉自体が耳に心地よくない訳ではない(特に英語は解りません)。直接音を省けば感動する歌詞だって探せばいくらでもあるはずです。凡ての芸術同様に他を意識すれども詩は特に自己のための表現方法です。故に美しさの対象は自ずと自我へ導かれる。たとえ内容が過激な思想や汚物に嫌悪する罵りの、その苦しみから嘔吐された愚痴に置かれていたとしても。それは凡て自己撞着へ向けられた本質的な負荷へと創作は至らなければならない。読んで感動するとはそのようにけっして耳障りがよいだけの言葉の羅列ではない、とも理解致しております。 ※追記しました。
戻る
編集