ポイントのコメント
[きりえしふみ]
 この文章と相反する文章に此方のurlが掲載されていたので、拝読するきっかけとなりました。私も大体そのような事を思っています。  別に全ての文人の作品を余す事無く読む必要はないのですが、歌詞を読んで詩らしきものを書き出した人と、詩を読んで詩を書き出した人とは根本的に差が出てしまいます〈勿論、書き出した後、先人の詩を読んでみることで、差は徐々に和らいでいくのでしょうが)。  実際私が先人の詩集を買うようになったのは(それ以前は数冊しか読んでいませんでした。シェイクスピア、ゲーテ、金子みすヾさん等です)、去年某出版社の詩の賞で佳作を頂いてからです。別に詩集に興味が無かったわけではなく、何冊か読んだ中で、素晴らしいなと思う詩人さんが、たまたまいなかった(金子みすヾさんは素晴らしいですが童謡詩人でいらっしゃるので、何か少し特別な感じがしました。シェイクスピアとゲーテは素晴らしいけれど、日本人ではないので、日本の詩人にはいい詩人が余り居なかったのではないかと勝手に思い込んでいました)ので、余り興味が持たなかったのです。しかし、同士がもう彼是四年近く中原中也がいいと言っていたので、書店で見つけたとき買いました。その後はたまたまハルキ文庫等で出ている詩人の詩集を見かけると買う、という事をして(それ以外も活字の本を毎日のように買い漁り)、今では多分大抵の先人の詩人の詩集は読んできたと言えるのではないかと思います。古学びという言葉を「美人の日本語」で知ったのも原因の一つになりましたが、その時まで先人の詩人の詩集を余り読んでいなかったことに後悔を覚えました。素晴らしいものがあんなにあったのですから。ただ、書き出したのは随分小さな頃で、教科書で読んだ詩がきっかけだったと思いますから、詩に感化を受けて書き始めたことは言えます。実際、何篇か教科書で習っていて覚えていたフレーズがあって(学生の時習ったのだからもう何年、物によっては十何年も覚えていたということですね)、去年その詩の何篇かと再会して、「何故忘れていたのだろう!」と頭を抱え込んでしまったものです。  人によっては、「天才は何もしなくても(寧ろ、努力なしに出来る人が)天才だ」と思っていらっしゃる方もいるでしょうし、「人の書いた物を読んだらオリジナリティがなくなってしまう」という思い込みを持たれている方もいらっしゃるでしょう。しかし、その二つは有り得ないことだと思います。努力せずに時代に受け止められたのは、単に奇抜だっただけで一発屋で終わるのがオチです。また、私たちは生まれてこの方、見るもの聞くもの触るものの全てに影響を受けているのです。オリジナリティって声高に叫びたい人の気持ちも分かりますが、その事実がある時点で、オリジナリティというものは、自分の気持ちと歩んできた人生以外に有り得ないと思うのです。であるなら、どうせ影響を受けるのならば、より素晴らしいものから影響を受けた方がいいように感じました。  また、昔の文人を悪く言う方については、ただ古臭いと誤解して読んでいないか、怠けて読まずにいるかは別として、読んだ上で彼らを否定する方は、嫉妬ゆえに彼らを煙たがっているように思えません。本物を前にえらそぶっているとかいう方々も、えらそぶっていると色眼鏡を付けて彼らを見て、勝手に思い込んでいるだけに過ぎないように思います。  あるオムニバスの本に、詩という言葉の成り立ちが書いてありました。言葉を長く留めるという意味が詩には込められているそうです。 ただムカつくから吐露の為にただの自己アピールの為に書いている、先人の詩を読んだことも無い、またその足跡を否定する方々は、詩は書けていない場合が多いように感じます。  現代の方が新しいから優れているだなんて考えは、愚かで浅はかだと思います。私としましては、自分が生きる現代の土台を作った過去に生きた人々を否定することは、現代をも否定することのように思います。昔書かれたものだから古いと切り捨てるのではなく、影響を受けながら自分たちなりにアレンジするなり、幾らでも現代と昔の色のようなものを美しく混ぜ合わせる方法はあると思うのですが。  何というかバランスは大切です。読んでいる人も余り読んでいない人に対して馬鹿にする必要もないし(でも、本当は馬鹿にしている人なんて殆ど居ないのだと思います。それ位知っていて欲しいと思うその程度ですよ。恐らく)、全く読んでいない人、過去の詩人を否定したいという稀有な人も読んでいる人を否定する必要もないのだと思います。ただ言える事は、一度として先人の詩に感動を覚えなかった人は、詩とは何かを感覚的に分からない訳で書けない場合が殆どであるということです。何故なら大抵の能力は他の活字の本を読むことで補えるのですが、韻というものは、詩(若しくは和歌)を読まないと(若しくは、手毬でもしながら手毬歌を歌う等)身に付かないからです。しかし、他の活字の本を愛読している方は詩集を読むことを面倒だとは思わないでしょうから、読んでいるでしょう。  
戻る
編集