ポイントのコメント
[菊西 夕座]
>お湯を注いで始まる根菜のスープ
>人生は笑っちゃうほど短い
ティーポットから注がれるお湯の一筋の滝に、虹をみたのかもしれません。そこから口にまで注がれてしまう時間はあまりにも短い、と。
>月は相変わらず悪戯な目配せで
この前列の小悪魔めいたファンタジックな言葉ともつなげてみると、アリスのお茶会のようにも感じられて、トランプが次々に配られていくような、目まぐるしい生のいたずらじみた移り変わりが暗示されてもいるようです。
虹が土からできているという発想は豊かですし、虹が遠くの街へと架けわたされるように、人の手へと手渡されていくというイメージも鮮やかです。こうした発想の豊かさと、それを身近に置き換えていく言葉の手綱さばきの巧みさによって、魔法にかけられたかのように、遠くにあるはずの虹が手元にある感覚を自然に覚えさせてくれます。
なによりも作品の根底にある断絶感とまではいわないが、断ち切り感とでもいうべきものの、いちいち刈り取っていく姿が印象的で、そういった決意に従う決然とした姿が勇ましくある一方、その決意によって刈り取られてしまうという痛み(別れ)も身に引き受けてしまっているようで、その両極に引き裂かれる運命をなんとか繕うように虹で取り結ぼうという戦略がしたたかであり、かわいらしくもあり、痛ましくもあり、美しくもあります。
根菜というのはやはり、強く根を張っているにもかかわらず、ひっこ抜かれなければならない宿命にあり、根菜をひっこ抜く農家もまた、ひっこ抜くことを誇りある生業としなければいけない。ここにある種の綱引きが生まれるわけですが、こうした綱引きに決然であろうとする姿と、なんとも憐憫を催さざるをえないという繊細さが混濁していて、本人もおっしゃるライトなタッチがその引き裂かれる苦しさをほどよくやわらかにしつつ、「栄養の今少し足りないこの場所で」というような控えめさを生みつつも、やはりぬぐいきれない歴然とした仄暗さを地面に敷き詰めている点が好ましいです。
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