ポイントのコメント
[アラガイs]
携帯にメールなるものが出現して(もちガラケー時代です)双方向でつながるサイトがたくさん生まれました。はじめて投稿サイトなるものに詩を書き込んで、もうかれこれ三十年近くなるかな。途中何度もたち止まり振り返れば少しだけ詩なるものが呑み込めるようになった。と自負も曖昧ですが、人生をマラソンに喩えてもゴールは見えてきません。詩も同じくゴールのテープは見えてこない。詩の投稿サイト。付けられた評価に対しては多くの投稿者は言うでしょう。ほっといてくれ!そのとおりなんです。自分が好きで書いている。あなたにどうのこうのと言われる筋合いもない。そのとおりなんですよ。わたしは好きでマラソンを走っている。ゴールの見えないマラソンを走っているのです。目的はない。走るのが好きだから、好きで走っているのだから辛いとも考えていない。そのとおりなんですよね。 では?とわたしは問いかけます。そうですか、では、ですね、何故あなたは大勢の人たちが走るレースに参加するのでしょう。一人孤独に耐えて走り続けるのならば、べつに決められたレースのゴールを目指すこともないでしょう?一人黙々と走ればいいじゃないですか? 面倒くさいなこいつ、という態度がうかがえてきました。。それは大勢で走ったほうが楽しいからです。と彼は応えると致しましょう。楽しい?ただ走るのが楽しいだけなら一人で走るのも同じことじゃないですか?わたしもしつこいですね。そうなんです。ただ走るだけなら一人でもできる。健康のためにトレーニングをする。しかし、しかしですね、これがレースとなればあらかじめ決められたゴールがある。ゴールがあるということは目標がある。ということですね。ではその目標とはなんでしょう。それは次回走るためのタイムの向上だったり、また少しでも順位を上げるためだっり、et ceteraと目的があるのです。 そんなわかりきったことで、おまえ、長々と一体何が言いたいんだよ。 そう思われましたか? 詩を投稿するという行為も結局同じことだとおもうのですね。もちろん詩と呼ばれるためのものでもなく、ただ呟きたい。という人もいるでしょう。目的を持つのは自由です。 詩を書くという行為はマラソンと同じく孤独です。しかしそれを詩と認めるならば少しでも向上したい。上手くなりたい。詩とはなにものかを知りたい。  それには他人という存在を鏡のように意識しなければ発見することもなく、向上もない。なので批評も存在する意義があるのだと思います。 詩も文学も、大凡芸術文化と言えるものは他の存在なしには語れないのです。 地区外にゴミを持ち出してどーもくん。すみません。ご静聴ありがとうございます。ペコちゃん ---2023/03/30 13:36追記---
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