ポイントのコメント
[アラガイs]
この問題は核兵器の在り方を問う我が国の意思と比較しても考えてしまいますね。敗者と勝者による問題意識を越えた政治的な駆け引きを強く背後に感じるからです。
韓国側からみれば当時の政府に強制的に納得させられた意識が根強く残る。日本側からすれば既に解決した問題とみるのも当然でしょう。しかし韓国側からみれば、まるでモノのように金銭で解決されたかのように謝罪の意識は感じられない。 国民の意識を反映させなかった。これが立場が逆になればどうでしょう。敗者と勝者が。個人の訴えが戦後いつまでも国家的な意思として理解されるでしょうか。当事者でもある政府両方に責任は有るのだと思います。
※
日韓併合条約や協定に対する両国の解釈による認識の違いのこと?
サンフランシスコ講和条約。アメリカ合衆国による主導のことを言っておられるのかな。
まあどちらにしても国交正常化に向けて基本的な合意は成されてますよね。
条約批准は韓国の国会でも可決されている。
それを一方的な屈辱的譲歩と見なすだけでどちらかを責めるのは間違いだと思う。
何れしても我が国の認識では請求権は放棄されたものと見なしているのです。
※修正→当時
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