云ってはならないことを云ってしまおう/窪ワタル
 
目安を、その人は「詩」も読まずに一体何から判断するというのだろう?

確かに「詩」には「これが正解」というような明確な形式や方法があるわけではないだろう。それゆえ、そうした原則や、目安のようなものがなくても、書けた気にはなるのだ。
しかし、書けた気になるのと、書けることとの間には、大きな隔たりがあるのだ。
それは、先に云った「空」や「りんご」と同じく「分ったつもり」「知ったつもり」になっていると云うことではあるまいか?そう云う風に「詩のようなもの」を書いて満足している人に限って「詩」を読まずに、自分が書いている、或いは書こうとしている「詩」(或いは、あえて「ポエム」といってもいい)を書いている諸先輩方の詩業にまるで関心を払わないどころか、ある場合には食わず嫌いしているのである。

そんなに「詩」が嫌いなら読まなくていい!その代わり書くな!
そんなヤツが書いているものは「詩」ではない!

と、詩人は口にしないだけで本当は思っているのだ。少なくとも俺はそうおもっている。



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