【批評祭参加作品】朗読についていくつか/rabbitfighter
 
であった。
文字の発生以降も長い間朗読は第一の表現方法であり続けた。以降、印刷、流通、デジタルへの変換、インターネットの普及などを経て、詩は語られることが無くなった。
語りかけるという、当たり前の技術は、もはや古代の遺産として、ピラミッドの建築方法と同じように、忘れ去られ、失われてしまった。

それでは僕が毎月聴いている100篇もの詩は、何なんだろう。それらは語られているのではなく、ただ読まれているものだ。その朗読に語りかけてくる力はなく、言葉は口元からこぼれおち、鼓膜を刺激しはしても、心を響かせてはくれない。また、複雑に記号化された現代詩は、もはや声の助けを必要としなくなった。


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   グループ"第5回批評祭参加作品"
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