その2俳句の非ジョーシキ/佐々宝砂
 
。女がみな女らしいということはないし、男がみな男っぽいということもない。

私は自由になりたい。自由に言葉を使いたい。「つきすぎる」感性から自由になって、自由にものとものとを結びつけたい。春はそよそよ優しい風が吹き、初夏は爽やかに新緑が映え、秋は人恋しげに落ち葉が舞い、冬はうらさびしく冬ざれて……そういう「つきすぎる」言葉が歌う世界は不自由だ。全然面白くない。その手の常識は空の向こうに思い切り蹴飛ばしてしまえ。

「つきすぎる」ものを嫌う俳句は、ほんとは非ジョーシキの最前衛なのである。
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