Cry For The Moon 6「観賞、あるいは詩のソムリエ」/佐々宝砂
のよ、知識ってのはこっちから貪欲に奪い取りにゆくものでしょ? で、その奪い取ったものを、自分で取捨選択吟味して、混ぜ合わせたり切り貼りしたりして、自分という酵母で発酵させて、常に異質なものを取り込み続け、変化し続けてゆくもの、それがほんとうの「知」とゆーものなんじゃないの? 言わせてもらえばサ、なんか教わる程度で揺らぐ個性なんてサ、まだできあがってないのよ、つくりかけの個性しか持たないくせに威張るんじゃないわよ、キーーーーーッ。
失礼。今回は取り乱しませんでしたが、怒り狂ってしまいました。いつものごとく今回の簡潔な結論は、
「詩の読み方は学ぶことができる。詩の観賞の深さは読者の知識
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