兎女/黒田康之
つ
グラスを唇の奥の
ささやかな蜉蝣の羽のような前歯で噛んで
女はチビリチビリとビールを飲んだ
やがて女はおんなじ画面を見入る
僕の存在に気がついて
急に怯えた目になった
僕は思わずその兎女を捕まえようと
飛び掛ると
兎女はキュウキュウと息を漏らして泣き始めた
僕はなぜだか悲しくなって
その女を手放すと
女はただひたすらに駆けて逃げた
あとにはただ
初夏の細い三日月の
十分な光のような柔らかな肌の感触だけが
ひりひりと残り
いつの間にか僕自身とすり替わろうとしていた
女の逃げたその跡には
悲しい白兎の目のような
赤い哀しみが点々とあって
僕は女のグラスで残りのビールを飲んだのだ
空には月
三日月
赤い哀しみに触れながら
僕は女の明日だけを考えた
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