詩を捨てよ、恋をしよう/しゃしゃり
 
みじめだから詩をかくのか、
詩をかくからみじめなのか。
ニワトリが先か、たまごが先かには、
研究者が結論を出したらしいけれど、みじめなきもちに答えは出ない。

詩が、さも大事な何かであるように、考えても、もちろん、それを軽んじるつもりは毛頭ないし、詩に救われたり、本質的なことをいえば、
ぼくらは、泣くために詩をかくわけでもよむわけでもなく、
むしろ、泣かないために、
あるいは、泣くかわりに、詩をかいたりよんだりするわけだとおもう。
詩は泣きだ。

だからほんとうに恋をすれば、詩なんかかかずに、恋をしていればよいのであって、
そのときは自分自身が詩でなければならないはずである
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