批ギ ティラノサウルス『放牧』/黒川排除 (oldsoup)
 
残念な趣を感じさせるのである。

 それが嘘だ。

 この作品は確かにコラージュだ。自己生産的なコラージュだ。だがどうも固執しすぎたそのmooという連結においてもたらされる混乱は感触のよろしいベクトルとはいえない。その言葉を取りに戻る彼の背中を思い浮かべる度に、放牧されてるのは牛ではなくて彼自身ではないかという幻想にかられる。たびたび持って帰ってくる固形化した衝動に魅力があるにせよ、媒介としてはひどく不幸な働きをしているといわざるをえない。確かにその場所には複数の言葉があり、複数のにんげんがいて、複数の国に付いて語り合っている。だがそれを記録したたったひとつのテープレコーダーから後日流れてくる音が平坦な意味合いでの音楽として受け止められるのと同様、それが詩としてあることに真実があっても二次元的には合致しない。それはまったくの嘘だ。
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