批ギ いと/桐原/銀狼/今猿/黒川排除 (oldsoup)
メといえば浦島太郎も時間や死に接近するのだがその辺はむしろ普遍的な昔話として避けたかったシーンなのだろうか、ウサギとカメはのろいかはやいかだけでどちらかというと競争社会において各人が心に留めておくことを認識させるものだけどその辺を時間的な観念に捕らえ直してどうのこうのというよりは括弧のなかの文章の方が生きているのだから目一杯活かせば良かったのにというのはまたも技術論である。時間や死に接近することは生きている限り何度でもやや継続的に起こりうるのであって浦島太郎もいい話だか悪い話だか分からないけどジジイになるという点では甚だしく時間や死に接近する。実は竜宮周辺の海こそ生命の生活圏であり、ウサギもカメもにんげんも最後は海辺に打ち上げられるとしたら、ひとり海岸に立ってそれを眺めているなどとは考えたくもない。ましてや打ち上げられるそれらが日々の食料であり細々と生活を続け夢想を巡らしまた漂着物を貪り満腹になってふと砂浜を見れば残っているのはじぶんの足跡ばかりなどとは。いやいや、すべては比喩であってほしいものだ。
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