妻の背中/服部 剛
 
玄関のドアを開くと
右手の壁に一枚の絵が掛(か)かっていた

六十年前
I さんが新婚の頃に過ごした
緑の山に囲まれた海辺の村

二十年前
定年まであと一年を残して
急病で世を去った夫は
生前 日曜日になるとスケッチブックを抱(かか)え
ふらりと海へ出かけたという

不器用に曲がった線で描(か)かれた
額縁(がくぶち)の中に傾いた海辺の村

海の青 山の緑 家々の屋根の茶色

今は亡き I さんの夫の素朴に滲(にじ)む色合いは
寒い冬の朝にこわばった僕の胸の内をほぐした 

老人ホームに着くと I さんはお茶を飲んでいた

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