ギルド批評05/11/15/黒川排除 (oldsoup)
 
よりは読み手としてのお前だ。境遇の物語でありそれを共有するためのプロセスでありまた共有思考に対する依存でもあるこの詩はこうして幕を閉じる。つまりこの詩は閉じ際にさっと手が出てきて中に入れようとする、その手だ。帰ろうと思ったら鍵をかけられるのだ。しかしその手の握力は弱い。自らの活動をして恥を露呈し豚を実感させるには露呈の仕方が足りない。ではこれは彼の本意でないとして、彼が豚であるということはどういうことだろうか。見ようによっては彼の周りが豚であってほしいという力点から彼自身があえて豚を演じているようにも見える。だが全員が豚であればそれは全員が人間であることとなんら変わりないようにも思える。だとしたら
[次のページ]
戻る   Point(3)