いじめ2ー「いじめられた者にも原因がある」という言葉について/石川和広
いじめは「道徳観念=いじめは悪いことだ」をがたがたにする。そこで、警察を学校に置けばとかの話もあるが、そういう話も思いついたことがあるが、ここで負けてはならない。人はいじめることもある生き物だ。というか、「酷いこと」はだれでも仕出かしてしまうというかしたくなる時もある。なぜしてはならないのと思うときもある。そういう前提がもっと共有されねばならないのだ。
それだけで、大分変わると思う。
あとは、学校の問題も大きいが、いじめはどこの世界にもあるもので、ちゃんと、起きたことから目を背けずに、丁寧に事情を確認していく作業が必要だ。
しかし、最近「いじめられた」と思い込んで爆発物を投げ込んだものもいる。いじめは精神のドラマであり、そこでは「個」は溶けている。
しかし、思い込みは、生きていく上でつきまとうものだ。僕も被害者意識につきまとわれていたし、今もある生き癖のようなところがある。しかし全ての悪は思い込みから来るのかも知れず、それは生きる条件でもある。
チアーヌさんのところで書いたように、自分と違うものを認める気持ちが大切かもしれない。
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