私のダブルスタンダード/佐々宝砂
四律だか十六律だかもういくつでもいいや律背反、どれほど数多くの基準が存在を許されるとしても、それはやはり基準であって、基準とは、基準外のものを常に排除しようとするのではないか? しかし私のこの考えはかなり未熟だ。時間があるときE.W.サイードの本を再読して考え直してみようと思う。サイードの書物にはヒントがあるような気がする。
好みの問題であるということにしておきたいが、私は「オマエモナー」が好きでない。「オマエモナー」は、相手の、自分に理解できる面のみを見て述べる言葉であって、自分に理解できない異質な面からは目を背けた言葉のように思える。私は異質な面にも目を向けたい。私はあなたと違う。あ
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