光の声、闇の声。一つの声/チャオ
 
つの形を縁取っている。それを知覚する人々。その人々もまた重複している。父、母、思想、芸術、労働・・・。
重複したものも、また重複し続けている。一つの出来事はあらゆる出来事の結果に過ぎない。
何かを訓練し、それが意識せずともできるようになって、ようやく次のステップを踏める。単純な出来事はない。あらゆるものがあらゆる出来事を支えている。声を知り、曲を知り、調子を知り、拍子を知り、能となる。能という出来事が生まれる。

高温のベランダ、光の照らす形、光に溶ける体。出来事が過ぎ去った後、夜は訪れる。形は闇に生まれない。闇は意味を奪う。高温のベランダも闇とともに形を失い、物事は交じり合う。闇の中で思想も、芸術も、労働も。
蛙は鳴く、鳥も鳴く、人も鳴く。思想家の声は空に届かなくとも、その声を発しなければならない。芸術家の声はどんなに非難が浴びせられても、その声を発しなければいけない。労働者の声がいかに平凡であっても、悲しみも、優雅さもなくても、その声を発しなければいけない。夜の闇はその声を混ぜ合わせ、一つの声を作り上げる。

朝方、甲高く鶏が一鳴きする。


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