書く動力 9/Dr.Jaco
 
hole.


    空虚は出来事であり方法である。それは、たとえば空(くう)のように、
  信じられたり信じられなかったりするようなものではない。それはそれ自身
  によって満たされた白紙状態(タブラ・ラサ)として働く。同じように、真
  空も我々の時代においてはそれ自身によって満たされており、見分けにくい
  ものによってできている。

    《私》はひとつの時空をかたちづくる。種全体によって抹殺されたり消
  尽されたりするひとつの時空を。

  (マドリン・ギンズ 荒川修作 「死なないために」 三浦雅士 訳  冒頭)

突っ込んだ舌先が真空に引き込まれるという安手の空想。細部を知らない場合の
肉体の内部があたかも「ある」けど分から「ない」状態にあるという現実。
ただそうした空間に引き込まれていく内向きな動力を感じるほどに、動力をコン
トロールするものの存在と、される側の「私」が見える俯瞰図とのギャップに苛
まれる。ほら、「罪」とか「業」とか言ってごまかすのはそれなんじゃないの?

浅はかな宗教感はやはり手詰まりか。

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