記憶→記録/大覚アキラ
 
、誕生日みたいな特別な日の出来事でさえ、どんどん記憶の中で風化してしまう。

 これって、すごく恐いことだと思う。

 なぜならば、ぼくの持論では、記憶っていうのは、自分が自分であることの証拠(=アイデンティティ)に他ならないからだ。つまり記憶が曖昧になってしまうことは、すなわち、自分自身の立脚点が危うくなることなんだ。

 なんだかややこしいハナシになっちゃいそうだけど、自分が自分であることの証明って究極的には自分自身では不可能だと思うんだよね。それを支えているのは、自分を取り巻く環境だと思うから。

 家族や会社の同僚は当然のように自分を受け入れてくれるし、銀行のキャッシュカー
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