書く動力 8/Dr.Jaco
 

スを語る安普請の「構造」とやらではないのか。あ〜あ。

そもそも何か運動の存在が措定される状況において、私はそこに動力の存在を見極め
ようとしたのだろうが、重力が導くように、私がセックスの欲望に導かれただけだと
すれば、このつまらない話を止めてもよいのかもしれない。だが、ならばなぜ私はセ
ックスしたいのかという問題が残るのだ。

再び話逸れたが、「動力」と措定したものが、引力のように私に働きかける力なら、
私は「書く」のではなく、「書かされている」。それは水面の向こうから私を導く甘
い吐息なのだろうか。あるいは私がもとから持っている別の何ものかが私を引き摺り
込もうとする内側への力なのか。

その思考自体が反復であり、2枚の鏡を立てた部屋のように、消耗することなく反復
する像の中で転がる死体が言葉だとしたら。

手詰まり。
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