文学的成熟度/おまる
 
するLMを、自らの言葉で定義し、所有しようとする支配的エロスの発露である。また、女性読者が若い男性詩人に熱を上げる(推す)現象も同様だ。そこには、未完成なLMに対する育成的な愛撫、あるいは自らの文化資本を接ぎ木しようとする母性的、あるいは略奪的なリビドーが働いている。

LMが決定的に不一致であるにもかかわらず、その「不一致の正体」を暴こうとする行為もまた、批評の醍醐味だろう。それはセックスではなく、レイプに近いものかもしれない。

LMだけで最適な文学的意思決定が生じるのではない。なぜなら文学は巨大な歴史(としての厖大な過去の事象の集積)でもあるので、個々人のLMだけではとらえられないからだ。たとえ書き手と読み手のLMが完璧に一致し、幸福なセックス(読解)が成就したとしても、その営みが文学史というアーカイブに照らして既視感に満ちたものであれば、それは閉じた快楽に過ぎず、普遍的価値を持つことはない。

LMの働きの有効範囲は「出会い系」としてのネット詩など、限定的であるように思われる。
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