関節炎の息子/牛坂夏輝
 
関節炎の息子




「観察対象が完全に幸福を手に入れる際に、ロマン主義的で厳密なルールは、構造化した歩行文化を失いながらも、なおも分離した私生活を、部屋に持ち込むのだろうか」私はコーカサスの子供として宣言した。

熱烈な作品は、悪を小さな鈴として扱うものだ。鈴とは、眠りの肉体の血管であり、それは悲嘆、記憶喪失の果樹園である。私はコーカサスの子供として、拒否された囮としての身体を、その緑色に溶けている檻から反論しようとする火のそばへ移動させた。

「竪琴のそばで苛立たないで欲しい」

僕は舞台監督である洞窟の素粒子、または消滅した貝殻の感傷の隣で、馬に依拠しない、
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