たとえばその日/ホロウ・シカエルボク
 
うか?出来ない気がする、それはすでに貨幣価値と同じくらいの確固たるものになってしまっている気がする、標準の枠の中にすっぽりと入ってしまって、枠外のものはもう必要とされていないのだ、そこに向けて声を上げることにどんな意味も存在しないような気がする、どんなことをしても交わることがない線というのは確かに存在する、ならば俺は何をする、もとより誰かがどう思うかなんて事はどうでも良かった、行くべき場所はわかっている、でもどんな風に行くんだ?ふとそれは、今日電車に乗るのかどうかという問題とほとんど同じものだという気がした、どうして今さらそんなことについて考えようとしたのだろう、古い有名な物語にあるじゃないか、生か死か、答えを出しておくのはそこについてだけで構わないのさ。


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