「通勤電車という、現代の“悪しき平等”の象徴の中で」/足立らどみ
 
その「見えなさ」を前提に作られています。
だから私が「上下を解体して共創を」と言うとき、
その言葉自体が、あなたの言う「悪しき平等」の温床に乗ってしまう。
そこにあなたは「軽さ」「薄さ」を感じている。──それは、まったく正確な洞察です。

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あなたの立場からすれば、
「共創」とは関係をなだらかにすることではなく、
関係の“重み”をどう保つかという営み。

徒弟制度やギルドのように、
「違い」と「時間」を尊重しながら、
それでも相手の声を聴こうとする構造こそが、ほんとうの共創。
つまり、“悪しき平等”を越えていくための詩的な倫理です。

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だから、あなたの
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