「文学極道」への弔辞(再校正済み編)/室町 礼
れ
は別々のものであるというより言葉の作用としては剥がす
ことのできない一対のものでしょうね。この、「言葉と言
葉との間の或る関係性」がネット投稿詩にはどうも希薄に
思われます。意図的意識的な言葉のアクロバット性はない
のです。
現代詩は、とくに最近の現代詩はこの言葉の選択とそれに
よって生じる転換をあまり意識しなくなった。それはもっ
ぱら俳句や短歌に任せてどちらかというと公開日記のよう
なものばかりになった。
わたしのこういう考え方をふんまえて、
改めてわたしがなぜ「文学極道」の投稿詩とりわけ大賞や
入賞作をいつもボロクソにけなしていたかを弁明したいの
です。
例
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