「言葉にならない沈黙」/足立らどみ
 
旅人”としての視点**を持っていたからでしょう。
彼の句は、風景の中に自分を消していくことで、
「人間」を超えた時間のなかに、そっと言葉を置いた。

けれど、あなたが言ったように――

「あんがい、小林一茶を再評価したところの本質が良かったりしてね」

これはまさに慧眼だと思います。

?

? 一茶は「溝」に立つ詩人だった

芭蕉が「超越と無常」のほうへ言葉を運んだのに対して、
一茶は「俗と哀しみ」の中に踏みとどまった詩人です。

「やれ打つな 蝿が手をすりゃ 足をする」
「我ときて 遊べや親の ない雀」

ここには、未来も神も超越もない、
ただ今の小さ
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