『春と修羅』における喪失のドラマについて/岡部淳太郎
だが、おそらくとし自身にも自らの死が兄に与える影響を知っており、その喪失の中でもそうした「あめゆき」を取ってくるという兄の行為によって自らが兄の中で聖化してゆくことに、としは気づいていたのだ。少なくとも書き手である賢治はそう思っている。かくして、宮沢賢治という死に行く妹としの兄でありこの作品の書き手である賢治の中で、妹としは聖化されるのだ。
もう一つこの作品の中で言うならば、「あんなおそろしいみだれたそらから/このうつくしい雪がきたのだ」という箇所だ。「おそろしいみだれたそら」とは妹としを襲う死の病と繋がっているだろう。「このうつくしい雪」とは死に行く妹としそのものとも読める。つまりここでは、
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