『春と修羅』における喪失のドラマについて/岡部淳太郎
は、としの聖化を更に念押しするような書き方がなされているのだ。
つづく作品「松の針」では兄の妹に対する罪の意識のようなものが語られている。「さつきのみぞれ(あめゆき)をとつてきた/あのきれいな松のえだ」を妹の前に差し出すと、「おまへはまるでとびつくやうに/そのみどりの葉にあつい頬をあてる」のだが、それを見た賢治は「そんなにまでもおまへは林へ行きたかつたのだ」と気づき「おまへがあんなにねつに燃され/あせやいたみでもだえてゐるとき/わたくしは日のてるとこでたのしくはたらいたり/ほかのひとのことをかんがへながら森をあるいてゐた」のだ。そして、「鳥のやうに栗鼠(りす)のやうに/おまへは林をしたつ
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