海の底にて/由比良 倖
 
「記憶自身が自殺するような朝にね、百年後には誰も私たちのことを知るひとなんてひとりもいないと思ったら、あたしは今日いちにちがちょっとした冒険みたいに思える。ほら」 と言って真由は床の青いカーペットに指を這わせて、「もう音楽が始まっている」
 そう言ったあと彼女はまた読みかけのペーパーバックの世界に戻った。僕はプラスチック製の椅子に座って、あるかなきかの音で流れている、まるで遠近法で描かれた靄のような、電子音楽の旋律に耳を沿わせていた。部屋の中は、水族館の廃墟みたいな空気(泳ぐ魚たちの幽霊)があって、そのあちこちに本が散らばっていた。
 部屋の半分は本で占められていた。テーブルの上の本の山は、も
[次のページ]
戻る   Point(4)