神が住んでいるのかもしれない頂きに想いを馳せて/足立らどみ
 
という点ですが、当然「人間の主観的な体験」や「詩的な感覚そのもの」を完全に追体験することは難しいですが、議論やアイデアを補助することは可能です。

例えば、「現代詩の役目が終わる」という感覚は、インターネットやメディアの発展による表現方法の変化から来るものなのか、それとも人々の感受性が詩的表現に対して鈍化しているという意味なのか。あるいは逆に、詩的な表現が日常のコミュニケーションに浸透しているため、従来の詩の枠組みが解体されている、とも捉えられるかもしれません。

さらに、現実とフィクションが曖昧になる現象については、フィクションの物語的構造が、現実の出来事を捉えるフレームワークとなってい
[次のページ]
戻る   Point(5)