神が住んでいるのかもしれない頂きに想いを馳せて/足立らどみ
その人はネットが開始されると近い将来に日本の現代詩は役目を終える選択もあると感じてはいたからなのかわからなくなっていても長い時間を使ってノンフィクションで現実を書くことに専念しているのだろう。今後はノンフィクションを貫ぬけるほど現実が現実的な姿から逸脱してしまっているので時間が逆行しはじめているように読んでいて思うのだ。現実がノンフィクションに集約されるのではなくて、たぶん名作の小説は現実を収斂してしまうのだろう。わかりやすい例で言うと、令和6年元旦に起きた石川県の地震の翌日に起きた羽田空港での事故で旅客機の乗員乗客死亡者0人とか。
このテーマはさすがにaiさんは、、ついてこれますか?
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