読解の妥当性について/おまる
 
おいては、この傾向は甚だしい。のみならず、一般の人々や学生たちのあいだでも、「ウィキペディアを真に受けるのは○○」と考える人は少なくない。しばしばそれは「創作物」に過ぎないとみなされている。

しかしながら、そのような意地の悪い見方をフェアとは、けっして言わないのではないか?というのが、少なくともわたしの立場である。自由で開かれた情報発信の場でおこなわれた(”大衆の受容”をもっとも濃縮した形としての)「解釈」が「間違い」だと、誰が断言できるというのだろう?…わたしは、解釈の妥当性も、テクストに内在する自明なものなどではなく、読者たち(そこに作者も加われば僥倖だ)が「つくる」ものだと考える。

かかる対立も、文章を書くこと、読むことの二義性の問題に起因している。すなわち、二義のどちらの側につくか?ということ。
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