思い出は語られるためにある/岡部淳太郎
 
自信はまるでない(何せ岡部淳太郎ってありやなんだと言われたぐらいなのだから)。
 ともかく思い出は語られるためにあるのだから、choriくんについての思い出がある人には思う存分それを語ってほしい。そして十二分に語り尽くしたら、そうした思い出をそれぞれの胸の中にしまいこんで温めるのだ。まるで親鳥が卵を温めるように温めて、それが新しい作品もしくは思い出を通った上での新たな生き方という雛になって孵るのを待つのだ。故障したスマホは新しいものに買い替えることが出来るが、人のいのちはそう簡単には行かない。だからこそ思い出は語られねばならない。死は誰にも平等に訪れるのだから、自らの死もそう遠い日のことではない。自らがその後で思い出され思われるためにも、他者についての記憶は保持されねばならない。思い出は語られるためにあるのだから。

(2024年8月26日 PM9:53)
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