思い出は語られるためにある/岡部淳太郎
 
に蓋をするのもまた違うように思える。たとえ少なくても、思い出は語られるためにあるのだ。思い出を語らないままでいるなど欺瞞であるだろう。
 僕はchoriくんのことをあまり知らない。僕以上にchoriくんのことを知っていた人は多い。だから、そうした人たちは積極的に彼の思い出を語ってほしいと思う。彼岸に渡ってしまった者の思い出を語るのは、此岸に遺された者たちの責務であると思うからだ。
 しかしながら、すべての死者を記憶し語り継いでゆくのも限度がある。極端なことを言えば、人類がすべて滅んでしまえば、その思い出を語る者は一人もいなくなってしまうし、詩や詩の朗読という文化も永遠ではないだろう。悲しいこと
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