多作であること/岡部淳太郎
書き方は良くないと言うだろう。それはわかっている。わかっていながら、なおもこのような書き方を続けるのは、手っ取り早く書くことの快楽を得たいという思いと同時に、当初思いついた時の熱が時間を置くことで冷めるのが嫌だというのもある。僕に言わせれば、何度も推敲を重ねる書き手というのは結局才能が足りないのであり、だから書き直すことで自らを納得させているに過ぎない。自分で言うのも嫌らしいが、僕は自らの才能を信じている。だから、その才能から出た詩も信じるのだ(そうでなければ、社会の落後者に過ぎず詩に自らの存在を預けるしかなかった僕自身が報われない。自分が自分の詩を信じてやれなくて、誰が信じるというのか)。僕が詩
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