多作であること/岡部淳太郎
 
は自らを救うために詩を書かざるをえなかったし、その裏には自らをこのような状態に置きつづけてきた社会への不満も当然あった。
 このような次第であるから、僕が自らを救うため、あるいは社会への復讐を果たすために、詩を多く書くこと、多作であるようになるのは、当然の帰結であった。また、自己救済が主な目的であるため、手っ取り早く快楽を得たい、つまりは詩を書くことの達成感を味わいたいという思いになるゆえ、一篇に時間をかけて何度も推敲するということにはなりにくい。だから、僕の詩はそのほとんどが即興である。即興で書いてすぐに読み返して、少し直して、それで終りである。なんとも手軽なものだ。人によってはこのような書き
[次のページ]
戻る   Point(2)